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神の火を制御せよ

永久平和 
原爆を開発した科学者の苦悩の日々である。ノーベル賞作家のパールバックの作品を
小林政子が分かりやすく翻訳した、すばらしい作品である。
この神の火を制御せよ機会に是非、被爆国日本と原爆を開発した科学者達の両方を検証してください。



 永久平和


 ・一人と一人の喧嘩は、突然に起きて、殺傷事件になる場合がある。

  これらの喧嘩は、誰も見ていない所で発生することが多い。

  国と国との戦争は、各国が見ており、協議により、戦争をとめられる場合と

  とめられない場合がある。

 ・是非この機会に、丸田浩(監修)・小林政子(翻訳)両先生の本の内容を

  ヒントに、戦争が100%なくなる方法を提唱できる人が現れるのを期待する。

  また、この本を後世に伝えて、戦争が起きないような縛りを構築する人が是非

  日本から輩出されたい。

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  • 2015.07.14 Tuesday
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コメント
コメント有難う御座います。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
原爆は「天災」か「人災」か?

私が数年前に「パール・バック伝」を邦訳していた折、この「つなみ」という子
供向けのベストセラー小説の存在を知り、英文原書(1947年出版)を読んだ
瞬間、著者はきっと「津波」と「原爆」を重ね会わせているに違いないと感じた。
広島・長崎の一般市民たちにとっては、津波も原爆も自分たちの手では、どうに
もできない「天災」であった。しかしながら、太平洋戦争を始めた日本政府の首
脳や軍部の幹部にとっては、原爆は「人災」であり、「天災」ではなかった。中
国大陸や朝鮮半島を侵略しなかったら、あるいは真珠湾を奇襲しなかったら、あ
るいは南京やマニラで、多数の市民を虐殺しなかったら、あるいは「ポツダム宣
言」に素直に従って、無条件降伏を直ちに受諾していたら、原爆は(降伏寸前の)
日本には決して投下されなかったのである。政府と軍部の愚かな判断が、原爆と
いう史上最大の悲劇を(戦争に無実な)市民たちの頭上にもたらしたのである。
「原爆はしかたがなった」などという愚言を繰り返す政治家たちが日本にまだ存
在する限り、同様な「人災」が津波や地震のごとく、将来また再来するであろう
ことは疑いの余地がなさそうだ。
  • heidi
  • 2007/08/27 12:19 AM
パール・バック著「つなみ」

人々を勇気づける名作

この作品は、戦後まもなく、(戦争のために) 焼け野原になった日本やドイツなど
の敗戦国で、飢えと闘いながら立ち上がろうとしている多くの子供たちを勇気づ
けるために書かれた名作で、作者が1927年頃に、戦災の中国から疎開して、その
数カ月間を過ごした長崎に近い雲仙の農村漁村を舞台して、ストーリーが展開す
る。実は、この作品に基づいて、日米合作の映画が1960年頃に制作され、早
川雪舟、伊丹十三、ミッキー・カーチス、ジュディー・オング(子役)等の名優
がキャストとして出演する豪華版となった。この映画の「津波」シーンの特写撮
影のため、映画「ゴジラ」の制作で活躍した名カメラマン円谷英二さんも特別参
加している。ロケは、雲仙の木津(漁村)と伊豆大島の三原山火口で行なれたと
いわれている。(夫を亡くした直後だった)作家パール・バックもこのロケに参
加して、澤田美喜さん(日米混血孤児を預かるエリザベス・サンダーホームの創
始者)などの親友から悲しみに耐える力を得たという。不幸にして、この映画は
米国では上映されたが、日本国内では、なぜか公開されなかった。こうして、長
らく「幻の映画」として埋もれていた映画のフィルムが、2、3年前に東京のあ
る映画博物館に保存されていたことが判明して、早速ロケ地である雲仙で、40
余年ぶりに初めて公開された、と聞いている。いつの日にか、東京でもこの名画
が公開されることを期待しながら、この原作を味わってもらいたい。

幻の映画「The Big Wave」のポスター(1962年): 
http://www.movieposter.com/poster/MPW-4317/Big_Wave.html
  • Heidi
  • 2007/08/26 11:24 PM

情熱と良心の命ずるままにー科学者「レオ・シラード」の生き方

ハンガリー生まれの科学者レオ・シラードは、米国ニューヨーク州生まれのイン
テリ政治家フランクリン・ルーズベルト(名大統領)とは、気が合ったが、カン
サス州生まれの政治家ハリー・トルーマン(棚ぼた大統領)とは、一線を画した。
天才的発想の持ち主シラードはエンリコ・フェルミと、史上初の原子炉をデザイ
ンし特許を取るが、ナチスがそれを利用して原爆を製造し、実戦に使用する計画
があることを探知するや、アインシュタインと共に、ルーズベルト宛てに手紙を
書き、米国がナチスよりも先に原爆を開発するよう嘆願した。こうして、「マン
ハッタン計画」が開始した。
しかしながら、ナチスは原爆製造計画に失敗したばかりではなく、1945年5
月に降伏してしまう。そこで、シラードは米国の原爆製造計画の中止を提案し始
めた。
折悪しく、ドイツの降伏直前にルーズベルトが急死し、副大統領であったトルー
マンが棚ぼた的に大統領に就任した。これが史上最大の悲劇を呼ぶことになった。
ソ連のスターリンに軽く新参者扱いされたトルーマンは、男を上げるために、原
爆を瀕死の日本に落として、スターリンの東欧への進出を牽制しようと図った。
トルーマン宛ての(日本への原爆投下をせぬよう訴えた)シラードが草稿した嘆
願書は、良心的な70名の署名を得たが、トルーマンや軍部に無視された。こう
して、ヒロシマ・ナガサキに生地獄が発生した。(良心の呵責を強く感じた)シ
ラードは戦後、反核運動を積極的にリードすると共に、原子物理学を捨てて、
(平和的な)分子生物学研究に専念する。彼はその天才、情熱、良心のゆえに、
ノーベル賞に価する研究をしたにも拘らず、受賞のチャンスを逃し、いわゆる
「陰の役者」(原書のタイトル)に甘んじることになる。しかしながら、我々日
本人一人一人が原爆について深く思いをめぐらすとき、シラードの果した役割が
いかに大きかったかを痛感せざるをえないだろう。
  • Heidi
  • 2007/08/25 4:33 AM
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円谷英二円谷 英二(つぶらや えいじ、本名:円谷 英一(つむらや えいいち)、1901年7月7日 - 1970年1月25日)は、福島県須賀川市生まれの特撮監督、映画監督。表記は圓谷英二で1949年の映画『幽靈列車』まで映画のクレジットで表記された。昭和における特殊撮影技術の
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